来るべき生に向かって——アイドルの晩年様式——

現代日本のアイドルにおいて、卒業とはそもそも何を意味するのだろうか。この問いはアイドルをめぐる様々な事象を考察する上で不可欠なもののように思われる。「アイドルがアイドルを辞める」ことを卒業と呼ぶことが広まったのは「モーニング娘。」以降であると考えてよいだろう。グループ自体は存続する一方で、あるメンバーは脱退し、追加メンバーを補充するという方式をとることによって「卒業」という現象がアイドル活動に付きまとうことになった。AKB48をはじめとして、いまや多くのアイドルはこうした形式をとることによってグループ自体を延命していくことが一般化した。すなわち、アイドルの卒業には「グループ」が前提とされていることを今一度確認しておかなければならない。これは、1980年代までの「アイドル歌手」というある種のジャンルと現代のアイドルを決定的に断絶させる特徴である。現代のアイドルは「グループ」から分かちがたいものとして認識されている。アイドルとは何らかのグループの所属していることが不可欠な要件とされる存在なのであり、グループによってアイドルは名指され、記号化されることになる。

こうした事態は、大規模な芸能事務所をバックグラウンドに持つものからローカルアイドルと呼ばれるものまで大小様々なアイドルグループが乱立する状況を生み出した。その数はもはや捕捉すること自体が不可能なほどである。グループ自体が消滅することはもはやイレギュラーな背景を想起させることとならざるを得なくなった中で、個人がアイドルから離れる方法は必然的に卒業に限られてくる。2017年に限っていえば、AKB48からの小嶋陽菜の、乃木坂46からの橋本奈々未の卒業は典型的事例である。共にそれぞれのグループを初期から牽引してきた主要メンバーであるが、彼女たちの卒業は直ちにグループ自体へと影響を与えることはない。グループはそれ自体がシステムとして機能しており、個々のメンバーはそのシステム内を生きているためである。

そうした中での2017年6月の「℃-ute」の解散は、グループアイドルのシステム自体への再考を喚起するものであった。近年の「卒業」の形式とはいささか異なり、グループそのものが解消したという事実を重く捉える必要がある。℃-uteは2005年に結成された直後に有原栞菜が加入をしたものの、2009年に梅田えりかの卒業をもって解散時の5人体制となった。

さらに同じ6月には嗣永桃子が「カントリー・ガールズ」を卒業した。彼女は卒業と同時に芸能界を引退したのだが、このことは℃-ute萩原舞以外のメンバーとは異なる点である。乃木坂46橋本奈々未も芸能界を引退したが、彼女たちのようにアイドルグループを卒業すると同時に芸能活動も休止することは珍しいことではない。しかしながら嗣永桃子に限って言えば、彼女は2年前の2015年にBerryz工房の無期限活動休止(事実上の解散といって良いだろう)を経験している点で稀有な存在である。さらに、嗣永はカントリー・ガールズ内でプレイング・マネージャーとして活動しており、他のメンバーの卒業とは意義を異にしている。Berryz工房℃-uteは2002年のハロー!プロジェクト・キッズを母体としており、長期にわたってメンバーの加入は(℃-ute有原の加入を除けば)全くないグループであるため、同じハロー!プロジェクト内のモーニング娘。とは好対照をなしていた。同一メンバーによって10年以上の期間を活動してきたBerryz工房℃-uteの「解散」という終焉は、身体的なアレゴリーへと換喩される。「一つの生の終焉=死」としてのアイドルの終焉が立ち現れる場面はそうありふれたことではない。

いまここでアイドルとは何かを再考する余裕はない。私がここで示そうとしていることは、アイドルの終焉とは何かということである。ここまで述べてきたように、現代のアイドルはグループから離れることによってアイドルを卒業する。グループそれ自体は存続するためにメンバーの卒業は表面的には影響を与えるものということはできない。しかしながら、(卒業商法といったような商業的側面は措くとしても)グループのエクリチュールには一つの「スタイル」を提示することがある。ここでいう「スタイル」という語は極めて修辞学的な用法によって用いられていることに注意されたい。「スタイル」が指し示す内容は本論で追い追い明らかにされるが、ここではひとまずアイドルの活動が我々に提示するある種の語りの形式であると考えてもらえば良いだろう。

私はここで2017年の℃-uteの解散及び嗣永桃子の引退という事例によって、アイドルの「晩年のスタイル」に関する分析を行おうとしているが、無論これはアイドル全般に一般化されるべきものであると断じることはできない。ある一つの事例分析を通じてアイドルをめぐる主体のありようを議論の俎上に乗せようとするものである。

『晩年のスタイル』という著作はエドワード・サイードの遺稿集である。サイードは以下のように述べている。

わたしたち全員は、意識的存在であるという単純な事実のおかげで、人生についてつねに考え、人生から何か意味をひねり出そうとせずにはいられない。自己形成は、歴史の基盤のひとつである。そして歴史とは、偉大な歴史学創始者たちであるイブン・ハルドゥーンヴィーコによれば、本質的に、人間の営みの所産なのである。(サイード『晩年のスタイル』: 23)

ここで彼は字義通りの意味としての「死」と偉大な芸術家の営為とを接続し、そうした身体的状態と美的スタイルとの間に見出される関係についての議論を開始する。そしてそれは、人間が意識的存在であるがゆえに、自己の人生についての意味創造の過程におけるある種の歴史の編み上げ作業として解釈し直そうとしているのである。

まさしくこの著作は作家の「晩年性」に着目したものであり、その意味においてはアイドルの卒業という事象との連関性は薄い。しかしながら、卒業を死のアレゴリーとして読み直すことによってサイードをここでの議論と接続する可能性を見出すことができる。卒業とはアイドルとしての生の終わりに他ならない。そしてアイドルは第二の生を生きることになるのである。では、いかにしてアイドルは「アイドルとしての生」を生きているということができるだろうか。この問いについては、ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクの視点を導入してみることができる。すなわち、アイドル゠周縁という等式の導入である。アイドルは自らを周縁化された場所へと追いやる。

自らが自らを周縁へと追いやることは、自らを語りの対象の位置へと移行させることである。こうした身振りはむしろ多くの「芸能人」と呼ばれる存在に当てはまりそうである。彼らは自らを見られる——まなざしの対象とすることによって、そのこと自体に価値を与えている。消費者のまなざしが彼らに「芸能人」としての位置を付与しているのである。しかし一般的な芸能人の位置は「彼岸」にある一方で、アイドルの位置は衆人環視的なパノプティコンのようなモデルが想定しやすい。芸能人は資本主義社会と共犯関係にあることで、消費者に対して「権力-知(pouvoir/savoir)」を保有しており生産行為を行いうるが、アイドルはそうした権力を持たない。むしろ権力構造に従属的な態度を示すことによってアイドルはコントロールされる対象となる。それによって、我々はアイドルの成長を「監視」することができる。それに対してアイドルはまなざしを向ける対象を欠いている(まなざすことそれ自体が禁止されている訳ではないことに注意されたい。彼らに欠如しているのは「対象」なのである)。彼らには、自らの身体と自らの身体をまなざす視線のみを知覚することのみが可能なのである。その意味においてアイドルは、社会から周縁化されている。アイドルとしての生とは、植民地化された生なのである。

すなわち、アイドルによる「語り」とは、本来的に周縁化されたものの語りであり、スピヴァクに言わせれば不可能なものの経験であるということができる。アイドルは語ることができない。周縁化され、沈黙せざるを得ない、現代日本のサバルタン的存在として生きているのである。スピヴァクによる厳密な用法に従えばこれは退けられざるを得ないが、こうした解釈に基づいて我々はここからアイドルにとってのスタイル(様式)を見てとることができる。アイドルはつねに消費主義的な支配的言説によってのみ表象されるのだが、それによって逆説的に想像的なマイノリティとしての主体形成の道を歩むことになる。

アイドルの生をマイノリティの生と同一視するという危うい橋を渡るとき、アイドルの言説構造を組み替えていく契機が生じる。マイノリティのナショナル・アイデンティティをめぐる議論の中で、ホミ・バーバは以下のように述べている。

マイノリティの言説が立ち現れるのは、イメージと記号の拮抗的な隙間in-betweenにおいてであり、蓄積的なものと付加的なものとの、あるいは現前と代補との隙間においてである。むろん、それは文化的優越や歴史的由緒を主張する「起源」の系譜学に意を唱えるものとなる。マイノリティの言説は、〔……〕生きることへの戸惑いという対抗的で行為遂行的な空間として認識するものである。(バーバ『ナラティヴの権利』: 89-90)

アイドルをめぐる言説は、アイドル自身の身体的イメージ(容貌、パフォーマンス、頒布される様々な映像)と記号化されたエクリチュール(命名行為、断片化された詩、「発信」された諸々の言葉)の拮抗によって組み立てられる(アイドルの表象においては、表面化されたパロールではなく、その根底にあるエクリチュールの胎動を鋭く感知しなければならない)。バーバのいう「イメージと記号の拮抗的な隙間」をアイドルを指し示すものとして読み替えることができると考えれば、アイドル「について」の言説を、アイドル「としての」言説へと書き換えることができるのである。この図式によって生み出された言説は、安定的な被支配構造への戸惑いをアイドルであるというアイデンティティの内部に、パフォーマティヴに喚起する。

したがってアイドルのスタイルは、抵抗的な身振りのうちにおいて初めて発露する。アイドルがアイドルとしてのアイデンティティを獲得するという主体を引き受ける行為が、つねにすでにアイドルとしての周縁化から身を引き剥がそうとするものなのである。これがアイドルが個別的な存立可能性を保持する一般的な定式である。つまり、「アイドルになった」その瞬間からこうした語られざる語りが生み出されつつあるということになる。一旦自らを周縁に追いやりながらも、同時に、そうした中心−周縁構造をかき乱すことを目指していくのである。このようにして構造を内破させることができたものは、必然的にアイドルであってかつアイドルではなくなる。彼らはアイドルとして生きながら、それと同時にアイドルとしての周縁性を放棄する。晴れて「芸能人」になることができるわけである。主体化された、もう一つの中心としての「彼岸」へと到達することができる。AKB48指原莉乃はその好例であろう。彼女はアイドルをめぐる言説と権力の関係を経験的に(あるいは本能的に)十分に把握していたからこそ、アイドルを脱構築することができたのである。自らのスタイルを「うまく構築する」ことができたのである。

しかしながら、我々はここで一つの疑問に立ち戻らなければならない。それは多くのアイドルがこうしたスタイルを描くことに失敗せざるを得ないことである。なぜ彼らは「うまくやる」ことができないのだろうか。アイドルとして成功することができなければ次に進む(すなわち芸能人としてソロで活動する)ことができないといったような議論はここでは問題とならない。なぜならば、アイドルはもはやアイドルそれ自体が一つの到達点であると認識されるべき局面を迎えているからである(つまり、卒業と同時に引退することがドロップアウトという価値観は自明ではない)。ではなぜ、多くのアイドルは主体形成に失敗するのだろうか。それはアイドルのスタイルがつねに揺らぎ続けるものだからである。ここまで論じてきたように、アイドル的身体は根源的に主体の構築を拒む。アイドルたりえている基盤であるところの周縁性は、グループによって担保されているものであるから、主体であることによって周縁性が崩れてしまうことは、疑いようもなくアイデンティティを脅かすものとして認知される。自らを周縁に位置付けると同時に、その構造自体を止揚していくことができなければ、周縁のさらに彼方へと追いやられてしまうことにならざるをえない。そこでのいびつな主体形成は、言説をかき乱すような差延を発生させることはなく、したがって彼女自身の語りは聞き取られることのないものになってしまう。周縁化の無限後退へと陥ってしまうのである。

以上のような分析を踏まえると、アイドルであり続けるということの絶望的なアポリアに突き当たることになる。(消費主義的なアイドルの構造を保存したまま)アイドルであるということは、自らを常に脱-主体の状態に晒し続けなければならないのである。

しかしながら、℃-ute嗣永桃子は、つねにアイドルであることを選び続けてきた。彼女たちは、あくまでもアイドルであり続けることによって、アイドルの定型化された主体化のプロセスに逆行することを選んだのである(その背景には、アイドルの周縁化に加担し、主体形成を阻むグループという構造に大きな変動がなく、グループによって自らが規定されてきたという側面があるだろう)。そして、その逆行という「スタイル」が円熟したときに初めて、卒業を選ぶことが可能になった。すなわち、彼女たちはアイドルであることをやめることによって、アイドルとしての象徴的な死を選びとったということができる。そうした死の選択は、アイドルの抑圧された語りを示すものであり、抵抗の身振りの極限となった。アイドルをめぐる言説の構造を切り崩すのではなく、その構造の内部においてアイドルとしての自らの象徴的身体を終わらせるという、いわば自死を選ぶことは崇高なものの感情を喚起する。『判断力批判』でエマニュエル・カントは「崇高なものに対する感情は、美学的量的判定における構想力が、理性による量的判定に適合し得ないところから生じる不快の感情である」(カント『判断力批判』[97:167])と述べているが、ここで生じている不快を通じて、我々はアイドルに対しての主体的で理性的な意志の介入不可能性を知るのである。この意味で、結果として無限に遠ざかり続ける主体の在りようを見出すのである。無論、この崇高は経験論的なものではなく、観念論的に想定されるものに過ぎないし、死そのものに崇高性を見出すものでもない。しかし、私がここで述べようとしていることは、こうした「死の選択」に至るプロセスの重要性なのである。

イードが語る晩年性は、若年期の先鋭的で破壊的な性質を失うとともに、獲得した経験と技量に裏打ちされた円熟(それはある種のマンネリズムを内包している)、そして終焉(死)に向かう恐怖と不安がないまぜとなったものである。さらにいえば、late styleは「晩年のスタイル」であると同時に「最近のスタイル」であると読み替えることができる。時代に抵抗する身振りとして晩年性を解釈しているのである。℃-uteの解散発表後やBerryz工房の活動休止後のカントリー・ガールズとしての嗣永はそうした晩年性を湛えている。最後の瞬間までアイドルであり続けるということの意義を改めて問い直すことは、まさしく時代の流れに抗いながらもアイドルとしての象徴的な生を身体に書き込む作業であったということができるだろう。

卒業によって初めて、アイドルは時代と抑圧からの抵抗を達成するといっても過言ではないだろう。しかしそれはアイドルであったことの否定を意味しない。なぜならば、カント的な崇高へと至った卒業という経験は、アイドルであるというアイデンティティに裏打ちされているからである。アイドルの象徴的な生を脱却するという意味での卒業は、その生自体をそれとして肯定的に括弧の中にくくる行為なのである。